Translate

2015年9月28日月曜日

解釈の違い

想像では計り知れない戦争体験。痛み、悲しみ、虚しさ、葛藤......... その上で、世界の平和、人類社会を平和へ導くには、どうしたらいいかと考えに考え、練るに練り、幾度も重ねられたであろう話し合いの末に出来た平和憲法を、戦争を経験した事の無い人間達がこれだけ国民の反対運動が出ているにも関わらず、独断とも言える判断で解釈の変更を行う。

しかし、これが認められてしまえば、日本の治安はこれまで、海外からも言われてきた「住みやすい」日本「治安の良い」日本ではなくなってしまうように思えてなりません。

解釈を変える事、それは元々、作られた意味を払いのけ、そのものが持つ意味や役割をも変えてしまう。どんな小さな社会であっても、それは小さなことのようでとても大きな事です。元々作った方々が込めた意味以外、そこに手を加えることなどあってはなりません。相手の気持ちを、他人が勝手に決めつけてしまうようなものです。本人が主張しているにもかかわらず。

それがとても小さなことだとしても
例えば、家庭で母親がこう言ったとします「ゴミを出しておいて」
言われた家族の一人は膨らんだゴミ袋を、玄関の外に出しま。「ゴミを出しておいたよ」と言った。

ここにも解釈の違いが伺えます。
ゴミを出す ということは当たり前に、ゴミを、ゴミ収集局に収集してもらえるように処理すること。

それにも関わらず、たった一人が「ゴミを出す というのは、ゴミを家の外に出せばいいという事だ」という解釈が正しいと言い出す

その解釈に皆が従えば
家庭という小さな社会でさえも、うまく回っていかなくなってしまいます。

これまで保たれていた衛生面もなくなってしまいます。


解釈の変更は容易く変えていいものではありません。




0 件のコメント:

コメントを投稿