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2015年9月28日月曜日

話し合い を重んじる日本70年

人と人が、暴力をもって傷つけ合う事の無いように、日本では「話し合い」というものが尊重されてきたはずだった。話し合いには、自分の考えや意見が、相手に伝わる様に発言するという配慮と努力が必要。だから、今まさに、小学生、中学生、高校生は学校という所を通して、その必要性から学び、やり取りを学び、訓練されている。
学生が今正に学んでいる『発表の仕方』『相手に分かりやすいように伝えよう』『感想文で本の内容を分かり易く、そしてその本のどの場面が一番心に残ったか書きましょう』などの課題。

国会で行われた「委員会」は、日本の子供たちの弛まぬ努力の姿勢を踏みにじるよう。



野党の小西洋之氏が、佐藤正久に顔面を拳で押し返されている写真は、海外メディアにも取り上げられている。





委員会と関係の無い人物の乱入に、傍観者でいてはいけないはずでした






・始まりの合図「これから始めます」などの開催合図が無かった委員会。
始まりの記録の無い委員会。これは委員会が執行された事実が無いことを示す証拠です。中継を見ていましたが、見ていた通りです。

「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」への賛同のお願い


が、twitterやFacebookで拡散され
鴻池委員長に提出されます。
経過を発信されている ブログ


これが、与党の計画的な横暴な強行採決だったのなら、委員会の前の「話し合い」の最後に

議員「委員長、強行採決しませんよね」
委員長「誰か 何かいったかね」


このやりとりがとても哀しく感じます。



国民の8割が説明不足と言っている。にも関わらず強行採決...
そんな、話し合う事を放棄しているかのような阿部首相、与党政府...
臨み続けて下さった野党議員の方々には、感謝すると同時に、誠実さ、未来に対する真剣さ、国民に対する誠意、そして政府の動きにおける責任感、に敬意を抱きます。



日本国憲法には


全世界の国民が


ひとしく恐怖と欠乏から免かれ


平和のうちに生存する権利を有する”

と書いてある。2015、9、20

日本の心 忘るべからず

日本国憲法改正草案には



”全世界の国民が


ひとしく恐怖と欠乏から免かれ


平和のうちに生存する権利を有する”


という文言が削除されています。

憲法研究者のブログ

原子力発電所を知ったのは小学生の頃

私が原発の事を学んだのは、小学生の頃。教科書でそれを学んだ時、私は驚きました。このいつ地震が来てもおかしくないと言われている日本の中に、原子力発電所があるということ自体、自殺行為にも思えたのです。なぜなら、地震が来て、その建物が壊れた時、人体に害のある物質が漏れ出すに決まっていると思ったからです。なぜそのようなものを作ったのか、そしてなぜ、大人たちは、その力によって作り出される電気を平気で使っているのか、何故危機感を持っていないのか。とても不思議でした。

同時に、将来絶対にどうにかしなければ大変なことになると、その頃から、ずっと、ずっと心配事のひとつだったのです。

リスクマネージメントという言葉がありますが、それは家庭、会社、だけではなく、自分たちの力の及ばない部分でのリスクの存在を忘れてはいけないということがあると思います。阪神淡路大震災というのが起きたのも、私が小学生の頃でした。地震は、身に感じる前触れがありません。巨大地震が、来る来ると言われていた場所とは違う土地で起きたのです。現在はそれが頻繁に起きています。

いつどこに、なにが起きるかわからない。
文明が発達した人類こそ、生きることに傲慢になってはいけない
謙虚に、生かされているという意識を取り戻させるかのように、

まるで様々なことが自由に出来るようになった時代へのメッセージのようであるかのように。

そして、後片付け。

メルトダウンした原子力発電所
漏れた放射能が世界中を流れる、人の生きる源である、海水を汚染しています。

限りある地球の水を汚染してしまいました。
東京電力も、安倍首相も、日本では問題になっています。

国民は、脱原発

原子力エネルギーを使うことを辞めようと働いています。
電気を使わない生活や、太陽光発電、自家発電は広まっています。

国民一人一人が、変わり、その願いの通り、原子力廃止の方向に向かい
今後、3,11で起きたような、大きすぎる事故が起きないよう、はたらくことは言うまでもなくそれを左右する影響力を持つ日本国民の責任です。

また、汚染された海をどうするのか、今後人体への影響とどう向き合い、どう生きていく方法があるのか。これは未来の人類にとってとても重要です。
問題には向き合い続けなければなりません。

「五体満足で生きる為に」
私自身も、歴史から学び情報を収集しています。


日本の問題は深刻


国民は今も、国会の前で国民の声を発したり、各地で、阿部政権の活動に関して、様々に情報や意見を交換し、廃案にするよう、また、阿部首相に辞任して欲しいと、行動しています。

 阿部首相 ゴルフ



ロシアでも、3.11以降 ”阿部の嘘” と有名になっているようです。

チェルノブイリの出来事でさえ、私は物心ついた時からその危険性について教えられてきました。日本の原発事故は、今でもアメリカの西海岸で放射能汚染したマグロが流れ着いているなど問題を世界にまで齎しています。


解釈の違い

想像では計り知れない戦争体験。痛み、悲しみ、虚しさ、葛藤......... その上で、世界の平和、人類社会を平和へ導くには、どうしたらいいかと考えに考え、練るに練り、幾度も重ねられたであろう話し合いの末に出来た平和憲法を、戦争を経験した事の無い人間達がこれだけ国民の反対運動が出ているにも関わらず、独断とも言える判断で解釈の変更を行う。

しかし、これが認められてしまえば、日本の治安はこれまで、海外からも言われてきた「住みやすい」日本「治安の良い」日本ではなくなってしまうように思えてなりません。

解釈を変える事、それは元々、作られた意味を払いのけ、そのものが持つ意味や役割をも変えてしまう。どんな小さな社会であっても、それは小さなことのようでとても大きな事です。元々作った方々が込めた意味以外、そこに手を加えることなどあってはなりません。相手の気持ちを、他人が勝手に決めつけてしまうようなものです。本人が主張しているにもかかわらず。

それがとても小さなことだとしても
例えば、家庭で母親がこう言ったとします「ゴミを出しておいて」
言われた家族の一人は膨らんだゴミ袋を、玄関の外に出しま。「ゴミを出しておいたよ」と言った。

ここにも解釈の違いが伺えます。
ゴミを出す ということは当たり前に、ゴミを、ゴミ収集局に収集してもらえるように処理すること。

それにも関わらず、たった一人が「ゴミを出す というのは、ゴミを家の外に出せばいいという事だ」という解釈が正しいと言い出す

その解釈に皆が従えば
家庭という小さな社会でさえも、うまく回っていかなくなってしまいます。

これまで保たれていた衛生面もなくなってしまいます。


解釈の変更は容易く変えていいものではありません。




2015年9月25日金曜日

委員会の国会中継の後の情報も交えて。

・始まりの合図「これから始めます」などの開催合図が無かったこと。
それは当然、記録されることもなく、委員会が執行された事実が無いことを明白に示している。私が見ていたままだ。


これが、与党の計画的な横暴な強行採決法だったのかもしれない。
しかし、野党は言った「それにしても、与党側も、佐藤正久議員の合図も通じていない、バラバラに立ったり座ったりを繰り返す様は、何が起きているか分からない、誰が何を言っているのか分からない状況だったからに他ならない」と。

何故野党が、分かりきっている事実を、このように説明的に発言しなければならないのは、与党が「その状況で可決となった」と理屈を通しているからだ。

こんな形で、。
私を含む、安全保障関連法案に多くの疑問を持った国民の代弁をしてくれていた、野党は発言権を奪われた

これは、与党が、野党の誰の発言をも委員長の耳には届かせまいとするような故意的な企みの一部だったのではないかと、国民から批判をあびている。乱入してきた委員会と関係のない人物の処分すら明らかにされていない。


国民に流された中継



”強行採決” とされた実状はこんなものだった(以下)

私が中継を見ていた印象では、委員長が委員長席に着席された途端 大勢の人が、滑り込むように、委員長席の周りに集まった。そして野党、与党の議院達も次々に群がり、何が何だか分からくなった。

騒動の中、佐藤正久と席にいた与党議員のとっていた異様な行動が目についた。
私は、混乱した委員長席の様子に何が起きたているのか驚いていました。
その中で、目に付いたのが佐藤正久議員の姿でした。
その佐藤正久議員の表情に、まず違和感を覚えました。人と人が一心不乱になって押し合っている中で、佐藤正久議員だけ、その状態に驚く様子が無く、他の方々よりも冷静な表情で、頭を埋めたり、上げたりを繰り返しているように見えたからです。
そして、無情なまでの与党の議員たちを見た時は、いったいどういうことなんだろうと疑問を抱きました。そして、ほとんど動きの無い与党議員の方々の方を向き、佐藤正久議員は、両手を使って空を仰ぐように手を上げたりしていました。すると与党の議院達は、佐藤正久議院を見ようと背伸びをしている様子で、パラパラと立ったり座ったり、両手を挙げたりパチパチてを叩いたりしているようでした。



後に、状況を少しだけ整理しました。

委員長着席後、
野党の福山議員が、委員長に何かを話に行ったようでした。
しかし、委員長は、福山議院と目を合わせなかったようでした。


更に福山議院は、机の上に紙を置いて、近くで委員長に話をしていた最中
右から手が忍び寄っているのが分かります。
そして、向かい側に数人のスーツを着た人の頭が見えます。
飛び込んできているようで、ブレています。



 あっという間に、人が増えました。福山議員はさっきと同じ場所にいます。
増えた人のうち何名かは、福山議員の前に手を伸ばしているのが分かります。
この時の腕の位置を見てみると、福山議員と飛び込んできた人の腕は福山議員の腕の真横あたりにあるように見えます。



 次の瞬間、さっきまで福山議員の隣ほどの位置にいたスーツの人間は、委員長に急接近していて、福山議員の目の前に身を乗り出しています。男性3名の頭がとても近くにあるように見えます。


 福山議員の左横から、身を乗り出してきたと思われるグレーのスーツを着た男の横顔が写っています。メガネをかけた男です。マイクのようなものを自分の方向へ引っ張っているように見えます。この時委員長は、メガネをかけている人物の真後ろで立っている男の横、一歩下がった位置にいます。委員長の両脇に見えている男は委員長を見ていません。奪い合っている手を見ているか、メガネの男を見ているようです。


そしてさっきの画でメガネの男の後ろにいた男は、この画で、メガネの男の後ろにいる男性の背中に右手をやり、左手はつかみ合っている場所にあります。
そして委員長の姿はありません。










強行採決なんて、事実上無かった。



阿部政権の安全保障関連法案について、強行採決された事になっているけれど
事実上は、強行採決と認められる事実すら、無い。

阿部首相は、 ”日本の防衛力を高める” 
 ”日本を取り巻く安全保障環境が変わったから 国民の幸せと平和な生活を守る為の手段を変える必要がある” というが

安全保障関連法案可決に当たって一国民として感じる、齎されるであろう変化は


日本の、何時何処に、テロが起きるか分からない状況になる
・自衛隊の任務に、人殺しが加わり得る

ことだと思う。

その理由は、この記事を読めばよく解る。
“平和学の父”ガルトゥング博士 のインタビュー
(安保法案、日本の平和への願い、に向き合ってくださったこと感謝します。)

また、私個人としては(戦争を体験した先人が、人類の平和、世界の平和を願い、日本人のみならず、この世に産まれてくる全ての人の生きる環境が、平和なものになるようにと作り残してくれたこの、何にも代えられない宝を、改竄のごとく解釈を変更するだなんて、本当に、あってはならないこと。)だという想いです。